僕は受験生の時、現代文が得意ではなかった。
文系なのにも関わらず。
当時の僕は、
- 模試の国語の偏差値はだいたい50前後
- なんとなくで解いていたため、良い時と悪い時の差が激しい
- 古典に力を注いでいたため、それまで現代文は放置
- 2年の時の模試で、現代文偏差値37.5を取る
そんな僕だがこれだけは言える。
「受験現代文は、きちんと勉強すれば確実に力がつく」と。
「いやいや、現代文はセンスじゃないの~?!」
と思っている方もいるかもしれないが、少し待ってほしい
確かに受験生になる前までは現代文は苦手だったが、試行錯誤をした結果、その受験生の1年間で現代文の偏差値がかなり上がったのだ。
1番の得意科目とまではいかなくとも、合格点以上は必ず取れるようになり、苦手意識は無くなった。
そんな経験を踏まえて、「現代文」について語っていこうと思う。
目次
謎の科目「現代文」
まず、「現代文」が苦手な人の多くは、「現代文の勉強って何をしたらいいか分からない」
という悩みを抱えているんじゃないだろうか。
当時の僕も、現代文はどうやって勉強したらいいのか分からなかった。
例として、まず「英語」と「古典」を挙げてみよう。
「英語」や「古典」は「現代文」と同じ言語系の科目である。
だから、テストでは「文章を読んで回答する」というスタイルが採られることが多い。
しかしながら、「『英語』や『古典』の勉強のやり方が分からない」
という方は、現代文に比べて少ないように思える。
なぜなら、
「『英語』や『古典』は、とりあえず日本語に翻訳できれば、ある程度点が取れる」科目だからだ。
翻訳[名](スル)
1 ある言語で表された文章を他の言語に置き換えて表すこと。また、その文章。「原文を翻訳する」
コトバンクより一部抜粋
Q「傍線部を日本語(現代語)に訳せ」みたいに、
英語は「英語」を日本語に、古典は「古典」を日本語(現代語)に置き換える、つまり翻訳すること自体が問題で問われることが多い。
もちろん、
Q「本文の中で、当てはまるものを2つ選べ」
みたいに、内容を聞いているような問題もあるが、
あくまでも、本文の該当する部分を訳すことができれば正解を選ぶことができる。
だから、単語や文法を覚え、本文を和訳したりするように、
「日本語(現代語)に翻訳する」勉強をすればいい。
一方、現代文はどうだろう。
現代文は翻訳しなくても元々現代文=日本語。
英語や古典のように翻訳のための勉強は必要ない。
Q「傍線部はどういうことか」(現代文お得意問題)
どういうことか?ん?どういうことかってなんだ?
「何言ってんだ。お前さん日本語だろ。これ以上どうしろっていうんだ」
僕にとって、現代文は謎だった。
ちなみに、周りにも
「学校のテストならまだ点が取れるのに、模試になるとさっぱりだし…
先生によって教え方もバラバラだし…現代文は苦手」
という人は結構いた。(「定期テストとれるんかい!すごっ」って陰ながら思ってた」)
「読書をすれば、現代文ができる」という迷信
「現代文の成績をあげたかったら、読書をしろ!」
という表現を聞いたことがある。
他にも、新聞を読んだり、コラムを見たり…。
確かに、読書をよくする人は比較的、現代文の成績が良いかもしれない。
しかし、今考えても、「読書をすれば、現代文ができる」という考えはあまりにも短絡的だと思う。
だからこそ、「読書と現代文は違うものだ」と認識してほしい。
まず、読書は「主観的な読み方」をするもの。
だから、同じ本を読んでも
「この本は超面白かったし、タメになった!!!」という人もいれば、
「この本読んだけど、イマイチだった…」という人もでてきて、
感じ方は、バラバラである。
要するに、「みんな違って、みんな良い」が読書である。
一方、受験現代文はそうではない。
なぜなら、読書のように「人によって回答がバラバラ」だったら困るし、
もっというと、「受験科目として成り立たない」のである。(正解、不正解が区別できない)
だから、現代文は「客観的な読み方」をする。
具体的に言うと、
現代文は「文章ルール(文法、構文、論理など)」に従って読むのである。
ルールと言っても、そんなに難しいものではなく、
「例え」とか「比喩」とか「指示語」とか「S、V」とか
どれも日常生活で、僕たちが無意識に使っているものである。
結局のところ、入試現代文は、
読書のように、「自分がどう思うか」「他人がどう思うか」ではなく、
ルールに従って「どこに、どう書かれているか」「筆者は何を主張しているか」が問われるのである。
つまり、現代文は、「ルールに従って、客観的に読んで問題に答える」ことが必要とする科目なのだ。
現代文は「車の運転」だ!
これまでに、「現代文は、客観的ルールに従って問題を解く」ということを述べた。
そして、これからはイメージを持ってもらいやすくするために
「現代文は車の運転に似ている」ということを主張したい。
運転するときは、交通ルールを守らなければならない。
赤信号は守らないといけない。
交通標識を見落としてもいけないし、
自分がどこに行きたいのかを常に考えながら運転することも求められる。
気持ちが高ぶって煽ることなんてもっての外。
当然、信号無視や、標識の見落しをしてしまうと、事故が起こる。
だからこそ、間違いや事故を防ぐためにも、交通ルールを守り、標識も見落とさないように注意しながら、安全運転を心がけることが必要なのだ。
現代文も同じ。
設問に対して、現代文のルールを守らないといけない。
指示語が何をさしているのか確認しないといけない。
例に気を取られていたらいけないし、文法を正しく守ることは当然のこととされる。
思い込みで先走って、設問をきちんと読まないなんてもっての外。
論理を無視すると最後の2択で迷ってしまう。
当然、これらのルールを守らないと間違える。
だからこそ、間違いを防ぐためにも、現代文のルールを守り、設問の指示見落とさないように注意しながら、問題に望むことが必要なのだ。
「確かに、現代文と車の運転って似てるかも?!」
つまり、現代文を勉強することは…
つまり、現代文を勉強するということは、
「まず、現代文のルール(文法、構文、論理など)を学ぶ。
そして、そのルールに沿った客観的な読み方を身につける」ということだと言える。
「今まで何を勉強したらいいか分からない」という受験生も、
「現代文の勉強の全体像」をイメージすることができたのではないだろうか。
この記事が少しでも現代文の勉強に役に立てば幸いである。
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