謝ることは、「礼儀」である

【質問】

私は、友達や両親に正論を言われたときや、怒られたとき、意見を否定されたときなどにつれない態度をとったりして拗ねてしまいます
心では反省しているのですが、なんだか恥ずかしかったり、悔しい気持ちがあったりして、素直になれません。
この前も友達に正論を言われ、そっけない態度をとってしまいました。私が100%悪く、本当に反省しています。
友達には謝りたいのですが、恥ずかしいので態度で示そうと思っています。
もう2度とこのようなことが無いように、拗ねてしまうのを直すアドバイスをください。

【回答】

質問ありがとうございます。

拗ねてしまうのは、あなた自身のプライドが高いから。

否定された瞬間に「自分自身のプライドを傷つけられた」と思い、

自分自身を守るために拗ねるのです。

なにより、「(相手に非がないのに)拗ねてそっけない態度を取ってしまうこと」は、

とてつもなくその場の空気を悪くします

しかし、拗ねるという行為は、条件反射的に出るものなので完全に治すことは不可能です。

諦めてください。」

と私が言ったとしましょう。

 

どうですか?腹が立ちましたか?

もしかしたら、ここだけを読んで私に対して反感を持った人もいるかもしれません。

きっと、質問者様も「こんな奴に質問するんじゃなかった!」と思ったことでしょう。

ごめんなさい。別に質問者様を傷つけるつもりはありませんでした。

しかし、質問者様を不快な気持ちにさせたのなら謝ります

ですので、もう少しだけこの記事を見てくれませんか?お願いします。

 

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というように、自分の言動が原因で相手を嫌な気持ちにさせたときは、

謝るのが最も良い手段だと思います。むしろ、この方法以外はあり得ないくらいです。

「友達には謝りたいのですが、恥ずかしいので態度で示そうと思っています。」

態度で示したいなら、今すぐに友達に謝りましょう。

謝ることは、恥ずかしい事ではありません

。人間関係を維持していくための「礼儀」です。礼を怠れば、人は離れていきます。

と言っても、誰だって自分の失敗や弱い部分を認めたくないものです。

ですので、多くの人は、正論を言われたときや怒られたときは、気持ちが落ち込みます。

場合によっては、腹も立ちます。

だから「つれない態度をとったりして拗ねてしまう」ことは、良い事だとは思いませんが、

そんなに言及されるものではないと思います。

おそらく質問者様の友達も、

「自分が正論を言ったから、拗ねているんだな」ということ自体は理解しているはずです。

とりわけ大きな問題ではありません。

しかし、謝らないとなると話は別です。

「この前も友達に正論を言われ、そっけない態度をとってしまいました。私が100%悪く…友達には謝りたいのですが、恥ずかしいので態度で示そうと思っています。」

「向こう側に100%非があるにもかかわらず、

不貞腐れてそっけない態度をとった上に、謝っても来ない」、となると、

私ならそんな人とは仲良くしたいと思いません。

私なら、表情は普段通りにニコニコしていたとしても、

内心では「この前はあんな態度を取ったのに、よく普通に接することができるなぁぁあぁぁぁぁ」と般若のような面で睨みつけていることでしょう。

謝ることは、恥ずかしい事ではありません。

人間関係を維持していくための「礼儀」です。礼を怠れば、人は離れていきます。

結論:「拗ねてしまうのは仕方がないので、その後きちんと謝りましょう」
「そもそも自分の失敗を謝れないくらい素直になれない人が、拗ねるのを直すことなんて不可能です」

しかしながら、今は拗ねた様な態度をとってしまうとしても、

こうして相談できている時点で、質問者様は自分の傾向を把握して客観視できています。

これは凄い事です。そんな質問者様なら謝ることもできると思います。頑張ってください!

おしまい。

追記

「謝ることはできるようになった、だけどどうしても拗ねるのを直したい!」という人は、「Yes!スタンス法」をオススメします。

詳しくは以下の記事をご覧ください。

結局「イエスマン」の方が成長する|ナッスィング神山|note
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