「最近の若者はキレている」
何かあるたびに、「最近の若者は…」と難癖をつけられ、礼儀や身だしなみがなっていないとか、話を聞かないとか、とやかく言われる。
いや、何だよ。ことあることに「最近の若者は~」なんて。理由になっていないし。結局「黙って言うこと聞け」ってことが言いたいだけじゃないの。じゃあそう言えばいいじゃん。だいたい長く生きているほうが、物事を知っているのは当然だし、そもそも「その最近の若者」を育てているのはその親の世代だし。「その最近の若者」を育ててしまっている親を育てたのは、その親の親の世代。結局、みんなに責任があるじゃん。となると「最近の若者」発言は、そんな若者を生み出してしまった自らの世代を悔やむ、懺悔する意味で使っているのかも。なんだか納得。それか、自分たちが言われてきたから、ただ言いたいだけかも。それも納得。
と思わずガキのくせに生意気に能書きを垂れてしまいそうになる。
ところで、「最近の若者」発言はいつの時代も繰り返されるものだ。
不思議にもいつの時代も大人たちは若者を語りたがる。
調べてみると、
古代エジプトの壁画には「最近の若者はけしからん。わしが若いころには…」という文章があり、古代ギリシャの哲学者プラトンも「最近の若者は目上の者を敬いもせず…」と嘆いていたらしい。
近年では、「最近の若者は」という発言を「ジェネレーションハラスメント」とも呼び、
「世界最古のハラスメント 」であると主張している人もいる。
いつの時代も存在し、ハラスメントを受ける若者。
じゃあ、「今の若者はどんな特徴を持っているのか」について、若者が考えてみよう
というのがこの記事のテーマである。
今回読んだ本は、速水敏彦氏の「他人を見下す若者たち」である。
タイトルを見るだけで、若者がキレてしまいそう💦
目次
他人を見下す若者
現代人は自分の体面を保つために、
周囲の見知らぬ他者の能力や実力を、いとも簡単に否定する
「他人を見下す若者たち」あらすじより
本の中で、速水氏は「現代の人(特に若者)は他人を平然に見下すようになった」と言い、
その理由を
「他者を否定したり、軽視することで、無意識的に自分の価値や能力を保持したり、高めようとしている」、
からであり、
それは「防衛機制の一種」だと言う。
つまり、人をバカにすることで、自分は有能だと思い、
そうすることで自分のプライドを守り、心の安寧を維持する若者が増えているということだ。
(キレちゃだめだ、キレちゃだめだ、キレちゃだめだ)
自信がない若者
では、どうして
「他者を見下すことで、プライドを守る」若者が増えたのか。
それは、「自分に自信が持てない」からである。
速水氏は、研究データをもとに、
日本の中学生たちは、他国の中学生に比較して、自分に自信が持てず満足していない、つまり、自分を価値のある存在と見なしていない
と推測し、
社会生活の中で自分に自信を持つことができない若者が、
自己否定を避け、自己肯定感を得るために。
他人を見下すということを述べている。
くっ。図星だ。
ただこのままでは終われない。
ここからは若者代表として、反論させてもらう。
今の社会の風潮として、「個性を持て」と言われる。個性を大切にして、「人とは違う自分らしさ」が重要視される。いわば、人との差別化を求められる。もちろん、個性のある人間が社会の求める人材として優れているのかもしれないが、人との差別化を図るということは、当然人と比較するということだ。比較することで、優れている人と劣っている人が生まれる。だからこそ、そうした人と比較するという行為が、無意識に自分の自信を失う要因になっているのではないかと思った。
結論「そう、僕らは悪くない、社会が悪い」
ジコチューな若者
本書では、他人を見下す理由のもう一つとして、
「最近の若者は自分にしか関心を持たなくなった」
ということが挙げられる。
速水氏は、
昔の若者は、少なくとも親や先生など権威のある他者から制限を受けてきため、
一定の年齢になると自分自身を監視する意識が強まっていたが、
今の若者は、そうした制限が弱い環境で過ごしてきたため、
関心が自分だけに集中し、自分の欲求をみたすことだけで頭がいっぱいで、
他者の存在まで、思いを巡らせることができないでいる
その結果、他者を軽視し見下すようになったと言う。
例えば、
若者が集団行動を避ける傾向にあるのも、
全体のために動くことを嫌う=自己に意識が集中していることの表れだと言える。
また、意外にも友人関係にも当てはまる。
現代の若者は友人には無関心どころか意識過剰であるが、
その意識も、
●友人がどのような人物か
ということより、
●友人が自分をどう見ているか
に集中しているという。
また、痛いところを突く。
でも待ってくれ、核家族化や両親の共働きが増えたことなどによる、「コミュニケーション環境の不足」が自分にしか関心を持たなくなったの要因でもあるだろう。
結論「そ、そう。お、俺は悪くない、社会が悪い」
キレるな若者、胸に刻め
ここまで読んでいただいた若者諸君。
「この本、 さっきからずっと図星をついくる」
「なんか、ちょっとムカつく…」
「若者だけじゃなくて、大人の人の中にもこういう人いるじゃん」
でも考えてほしい。
痛いところつかれて、ムッとするのも、
悪いことをしたのに謝らずに反発したあのときも、
とにかくバカにされたくなくて、弱い立場になりたくなくて、自分の立場の事ばかり考えてしまうからだと。
それもこれも、「自信がなくて、自分のことしか関心がもてない」からだと。
だからこそ、提案したい。
『自分が指摘されてる』と思うのでなく、あくまで第三者として、『ああ、こういう意見もあるんだ』と客観的に見ることができれば、もっとかっこよい大人になれるのではないだろうか。
この本の前書きに速水氏は、
「この本は、あくまでも現代人への警告として書いたもの」であると述べている。
そう。これは、警告である。
現代を生きる最近の若者への警告だ。我々の身を案じていったものだ。
警告 ( 名 ) スル
①不都合な事態にならないように前もって注意を与えておくこと。
三省堂 大辞林 第三版より
「かつての若者」、いわば「若者」の先輩が私たちにアドバイスしてくれているのだ。
だからこそ、「キレるな若者、胸に刻め」
ありがとうございました。
コメント